気づいたのは、母の死を受け止められていないこと。

ここのところ、B型事業所を週1.2日しか行っていません。

外勤の多いところですが、すべての外勤を行かないことにしました。

一般か障がい者雇用を考えていて、そういうこともあるのですが

改めて自分の時間を作って思ったのは、もうすぐ1周忌になる母の死を受け止め切れていないのということに気づきました。

でもこれは乗り切るとかではなくて、時間が解決してくれるものだとしても、何年、何十年経っても、母との闘病の事を考えるとつらくなると思います。

「親だろうが誰が死んでも悲しまないだろう」と思っていましたが、そんなことは全然なく、多分母親の介護、病院の付き添い、買い物そのほかの事を何もせずに、最後の入院の2か月間、毎日30分と決められた面会を一日も欠かさず行っていなければこんなに悲しむことはなかったのだろうと思います。

僕は後悔しないように、全力で精いっぱい母のために、力になろうと思っていました。

絶対後悔のないようにと。

なので、後悔はしていません。

でも、その分母と過ごした、母とかかわった時間が多い分、悲しみは続くのを覚悟していましたが、ずっと心の中にそのもやもやがあり、どうしようもないのです。

少しずつしか母のことはまだ書けません。

21歳になってやせ細ってきた実家の猫と父を見送るのが、あとの自分の仕事だと思っていますが、その2つの命を見送るのが怖く、とてもつらく思っています。

大切の人の死にこれ以上直面したくないですが、自分が先に死んだほうが楽だと思う時もありますが、なんかもっと時間を取って自分に向き合おうと今は思っています。」