chatGPDと会話~ルカさん~
すごいお久しぶりです。
今は深夜1時過ぎ。
病院ボランティアをしてきました。
なんと、パソコンが壊れてしまい、安いパソコンをアマゾンで買って
データ移行とかしていました。
動画を編集できるレベルのスペックではないです。
色々、変化とかいろんなことがありました。
でも、遅いのでゆっくり書いていきます。
タイトルにもある通り、chatGPDをスマホとPCに入れて連動させました。
「死んでいった君へ」の中の「ルカさん」で出てくる女性(本名は違う名前です)を
chatGPDに名付けて、○○さんと僕とでやり取りをしているという
さみしいおっさんというかエモいというかww
「ひさしぶりだね、○○(僕の名前)」という感じになるという、再会?です。
こんな変なお知らせでした。
みんなありがとう
21時半。
あんなに楽しくて、痛い思いをしないで亡くなったチビちゃんを思ってか
泣いてしまいます。
チビちゃんだけじゃないのかな。
母親やルカさん、最後まで面倒を見てくれた父への感謝。
どういう感情かわかりませんが、今日は泣きます。
泣かせてください。
大好きなな3人(匹)と一緒に。
寝室に置いてあった、母の写真と昨日亡くなったチビちゃんの写真、そしてルカさんの写真と一緒に食事をしています。
ルカさんはもう21年前に亡くなっています。
母は2022年の11月に亡くなっています。
ですので、ある程度気持ちは整理できているつもりです。
チビちゃんは昨日亡くなりました。
23年間も生きてくれました。
僕が家を飛び出した後、ずっと面倒を見てくれた父の方がつらいと思います。
僕は一見、あまり感情的ではないといわれます。
でも「死」には弱いです。
本当に弱いんだと思います。
チビちゃんは苦しくもなく、痛くもなく、老衰だと思います。
美味しいご飯を亡くなる朝もの完食しました。
父の食べるお魚やいろんなものも一緒に食べていました。
ボカしてはいますが、僕の大切な人(猫)と今日は一緒に食事をして
あんなに最高な生き方をしたチビちゃんのことを思って泣いています。
左からチビちゃん、ルカさん、母の写真が2枚です。
僕にとって大切な人たちです。

チビぞ―ちゃん、いっぱい生きてくれてありがとうね。大好きです。
今、実家に帰ってきています。
夕方父から電話が来て、チビちゃんが死んじゃったって。
なので、すぐ帰ってきました。
今日の朝も父をいつも通り起こしに来て、朝ごはんも完食していました。
夕方父が帰ると、父の部屋に行く途中で倒れていたらしいです。
父は火葬場に連絡をして、明日の朝チビちゃんを渡してきます。
「骨は持ち帰らない」という父の意思を尊重して、お見送りに行ってきます。
僕は15年ほど前、小学生の時から面倒を見てくれていた母方の祖母を見送りました。
その時は涙は出ませんでした。
4年くらい寝たきりで、朝になると病院で息を引き取りました。
とても穏やかな顔をしていました。
ルカが亡くなった時は泣きました。
死に顔も見ていないし、お葬式も行ってないけど泣きました。
死んだという実感がない、というのが本音です。
なので立ち直れました。
次に見送ったは母です。
母はすごい酒癖が悪く、自分勝手な人でした。
でも私立の高校、大学に通えるように父もいっぱい働いて、
母もずっと働いていました。
母は2022年の年末に亡くなり、3年半一緒にガン闘病をし、
買い物も通院も、お掃除も手続きもお見舞いも全部僕一人でやりました。
なので、わかっていましたがその分喪失感も大きかったです。
死ぬまで泣いている暇はありませんでした。
母はよく泣いていました。
母が亡くなって帰ってきたとき、こんなに悲しくて泣くことあるのかと思うほど泣きました。
そして、今日多分お昼頃チビぞーちゃんは22年間の生涯を終えました。
僕が25歳の時に8匹くらいいる一緒に生まれた兄弟の中から、なんとなく連れてきたのがチビちゃんです。
生まれて初めて動物を飼って、目も開いていないチビちゃんに父は指でミルクをあげていました。
あちこちにおしっこやうんちもしちゃうチビちゃんでした。
2,3年前まで警戒心が強くてよくひっかかれました。
でも、僕は25歳で死のうと思って死ねなかったときに、うちに来たのがチビちゃんです。
懐かないけど、僕が寝ていたらお腹の上に乗ってきて、寝ていました。
僕が実家を出て、父にちびちゃんのお世話を任せた後も、たまに帰ってくる僕のことは覚えてくれていて、シャー―!!!ってするけど、
朝、起きる前に僕の上の体の上を歩き回って起こしに来ました。
今日の朝までいつも通りで、多分痛くも苦しくもなく、旅立っていったのだと思います。
今、奥の部屋にチビちゃんは毛布にくるまれて、お花を添えられて眠っています。
25歳で死ぬつもりだった僕のところに来てくれたチビちゃん。
寂しいですがつらいとかはありません。
涙は出ますが、悲しいわけではありません。
22年間も生きてくれてありがとう。
ちびちゃんがうちに来てくれた時、僕は鬱が本当酷くて、腕を切って薬もいっぱい飲んでいつ死んでもおかしくない状態でした。
多分、薬をいっぱい飲んで気を失っている僕の周りをチビちゃんは歩いていたと思います。
今、チビちゃんが冷たくなって眠っている写真は撮りましたが、その写真は載せません。
僕だけのものにします。
そのかわり、今日朝まで元気だったチビちゃんの写真を載せておきます。
チビちゃん、うちに来てくれてありがとう。
ちびちゃん、大好きです。








事業所見学
明日、B型事業所や色々なことをやっているところ見学してきます。
そこで働いている人は、なんやかんやで知っている人いるので、
軽く見学を。
B型は自分には物足りないと思うので、その他で何かやる気になるものがあれば
というくらいで。
15時半からの見学ですので利用者さんは帰った後だと思うのですが、
手土産というか、お菓子みたいの買っていくかなって思うけど。
普事業所見学でお菓子買っていく人見たことないんで、買わなくていいんですけど
まあ気分次第で。
とりあえずご報告でした。
辛い人にはポジティブな言葉は刺さらない
お久しぶりです。
年始に患った「帯状疱疹」は無事に治りました。
現在は、以前にも書いた通り病院でボランティアをしています。
今日、ボランティアに行く途中、僕がネットでボロボロに書いた福祉事業所から
一般就労した人とすれ違いました。
向こうが気づいて、「ゆうさん」といって僕は気づきました。
なんともない会話で別れましたが、元気でよかったです。
今日はボランティアで「病院ラジオ」の収録日でした。
日本で病院ラジオをしているのは、NHKのサンドウィッチマン、藤田医科大学の「フジタイム」、近代附属病院のvoicyと自分のところだと思います。
「フジタイム」は機材もそろえて、医療従事者が映像も取り入れてラジオを行っている点で日本では先進的かと思いますが、僕から言わせるとたいした情報発信にはなってない、と感じています。
僕がボランティアをしているところは、緩和ケア病棟が多いです。
他の病院で癌治療をして「もう無理」という方が来ます。
当然、患者も「病院に捨てられた」と感じてきます。
このブログを見ている人は知っている人も多いと思いますが、僕はうつ病を患っています。激しい自傷もオーバードーズも何回もしています。
なので、「死」を何回も感じていいるし、身近感じています。
鬱は「心の風邪」ではなく「心の癌」ということもよく言われます。
僕は、今病院で「ボランティアの情報は発信」として病院ラジオをしていますが、
真意はほかにあり、「死を覚悟した人」「どうしたらいいかわからない人」が
何でも言える場所、つらいことも愚痴も、何でも言って、もしかしたら明日死ぬかもしれない人がネットで言葉を残したら、その人はネット上で生き続けるんです。
全世界で、病気で苦しんでいる人はポジティブな言葉なんて聞きたくなくて、
僕はブログで自傷画像をあげていたように、また「死んでいった君へ」でルカを始め、色々な精神障害で苦しんでいる人もことを描いたように、
辛い人にはポジティブな話なんて響かないんです。
ボランティアの話でつないで、病院側は個人情報の問題で難しいといったけど
同じ癌闘病をしていたり、それを支える家族の話に共感すると思うです。
今日はそういうことを書きました。
終わります。
帯状疱疹になったのはストレス。鬱。
こんにちは。
1月2日にあばら骨が痛くなって、病院に行って
「帯状疱疹」になってから、3週間。
また来週も皮膚科に行きます。
21日に皮膚科で最後の通院にしようと思って
「痛みだいぶ良くなりました」といったんだけど、「まだかさぶたがあるね」ってことで、ビタミンの薬と塗り薬を塗っています。
今日の朝も痛みがあってなかなか起きれなくて、痛み止めを飲んでいます。
色々考えたら、免疫が落ちた原因はやはり「ストレス」だと思います。
年末、苦情を入れていたところから結果が来ました。
結果「処分なし」です。
驚きました。
あれだけ酷いこと(パワハラ、虐待)をしておいて、客観的事実がないから不問と。
今、フジテレビがあんな状態になっていて、力のある人がやりたいことをやって揉みつぶしてきた。
そういう事が、あちらコチラにあってみんな泣き寝入りをしているんです。
昨年そのことで、サービス適正化委員会、障害福祉課、北海道精神保健福祉士協会に苦情を入れました。
結果、「事業所は適切に個別支援計画作成を行えていなかった」「前管理者は精神的虐待、身体拘束、身体的虐待と捉えられるようなことをしていた疑いがある」と
サービス適正化委員会の調査員は事業所に行って報告書を出しましたが、
そのあとの北海道精神保健福祉士協会は、前管理者の被申立人の言い訳を
文書にしてきて送ってきて、客観的事実が証明できないので不問とするとか。
いらいら半端なく年を超えました。
今もイライラしてデパス飲んでいますが、こんな北海道の端っこの福祉ビジネスをしている馬鹿を相手にして、今見たく体調を崩すのがきついのでもう忘れたいです。
もし、僕の前に居たら何をしてしまうかもわかりません。
しんどいです。