母の死についての後悔~ドラマ「春になったら」を観て~

テレビはほとんど見ないのですが、ネットフリックスで配信されている木梨憲武さんの「春になったら」を偶然見始めています。

第4話まで見終わって、母ががん闘病をしている際に「死ぬ前にやりたいことリスト」があれば何かやれたんでは、と視聴しながら思っていました。

でも、母は最期の入院まで自分がステージ4の癌であることも知らなかったし、僕も病院側には母に病状を説明しないでほしいと言っていました。

母が診察の際、レントゲン写真や病状の話題になると吐き気がでたり、パニックになったりとしていたので僕は母が死ぬまで、母が死に至る病であることは告げていません。

亡くなる数週間前に歩くリハビリが行われた際に、「今日からリハビリ、がんばるぞ!」とノートに記していました。

ノートに「今までありがとうございました」と書かれた文字に、二重線が引かれていて母が「死の準備」をしたり、でもそれを否定する考えがあって、今でもどうしたら一番良かったのかわかりません。

抗がん剤治療で両手両足は赤く腫れて痛くなった時に、家族の写真を整理しだし、父と結婚した時から、兄が生まれたとき、自分が生まれたとき、幼稚園に行ったとき、新居を構えたときなど時系列で、誰にも内緒で写真を整理していました。

「春になったら」をみて、母が生まれた埼玉や父と出会った東京に母が希望したら行きたかったなと思いました。

もっと、何かできたのでは?と今でも思います。

涙で打つことができなくなったので今日はこの辺で終わります。

最後に僕は母が最期を過ごした病院に今ボランティアに行っていて、患者様と歌を歌ったりしています。

母がノートに書いた「自分が死んだら連絡してほしい」と書かれた4名には連絡できないでいます。

ではほんとに今日はこの辺で終わります。