本当にやりたいことは、、、

先日、就労移行支援事業所に体験通所をしてきました。

一般で就職して、自分の金で生活しようということでです。

でも、体験3日間の2回目で自分に合わないなと、、、思ってしまいました。

昔、鬱になったときみたいに、、バイトで精神的につらくなった時みたいな頭や気持ちの不調を感じました。

 

それで、今日利用している「相談支援事業所」の担当者との面談で、僕は仕事でお金を稼ぐことに重点を置いていたけど、「いきがい」に重点を置く生活が本当にやりたいことなのかも?という話になりました。

そこで「ボランティアをしたらどうか?」という話になって、次回の面談までに「ボランティアの情報を集める」ということに。

先ほど、自分の住んでいる地域の「社会福祉協議会」の事務所に行き、話を聞くだけのつもりが「登録」までしてきてしまいました。

ボランティアなので強制ではなく、なにか少しでも誰かの役に立てる。

「ボランティアをしようと思ったきっかけはありますか?」と聞かれ、3年半がん闘病をしていた母が亡くなって1周忌を迎えたこと、その時にいろんな方にお世話になったこと、今度は自分が困っている人のために何かできることはあるのではないだろうか?と思ったことを伝えました。

これから北海道は雪の季節になります。

除雪で困るお年寄りがいると思います。

買い物に行けない、外出のお手伝いなど個人のお手伝いや、どこかの施設(病院やグループホームなど)のお手伝いも自分にできることはあるんじゃないかな?と思っています。

今日、ボランティア活動の登録に行った帰りは、就労移行事業所の体験に行った帰りとは全く違く、少し新しい自分の生き方のチャレンジにつながるのかなと淡い期待を抱くものでした。

まずはご報告でした。

とりあえず、第一歩。

今日、相談支援事業所の担当相談員さんと面談をし、就労移行支援事業所に見学に行くこととなりました。

2016年9月より、現在のB型事業所に通い始め、途中母の介護で一年間休んでしまいましたが、週5かそれ以上通えてるので障がい者雇用などを考え始めています。

B型事業所でも就職相談にはのってくれるのですが、それで就職をした実績もなく、、、なので就労に特化した場所で、と思いました。

 

B型事業所に通い始めたときより、鬱などの症状もだいぶ良くなり、病気に苦しめられていた時の偏った考え方がなくなってきているので、思い切って、というところです。

 

やっぱり、場所を変える、一回仕事で鬱になってということを思い起こすと「自分にできるのだろうか?」とも思いますが、今なら働けると自分を信じてやってみます。

 

ずっと生活保護のままでいこう、と考えていましたがやはり自分が稼いだお金で生活し、保護課に収入申告や資産申告などいろいろ縛られないでいたほうが気分的にはいいと思うのです。

 

とりあえず、第一歩。

11月7日頃見学に行ってきます。

気づいたのは、母の死を受け止められていないこと。

ここのところ、B型事業所を週1.2日しか行っていません。

外勤の多いところですが、すべての外勤を行かないことにしました。

一般か障がい者雇用を考えていて、そういうこともあるのですが

改めて自分の時間を作って思ったのは、もうすぐ1周忌になる母の死を受け止め切れていないのということに気づきました。

でもこれは乗り切るとかではなくて、時間が解決してくれるものだとしても、何年、何十年経っても、母との闘病の事を考えるとつらくなると思います。

「親だろうが誰が死んでも悲しまないだろう」と思っていましたが、そんなことは全然なく、多分母親の介護、病院の付き添い、買い物そのほかの事を何もせずに、最後の入院の2か月間、毎日30分と決められた面会を一日も欠かさず行っていなければこんなに悲しむことはなかったのだろうと思います。

僕は後悔しないように、全力で精いっぱい母のために、力になろうと思っていました。

絶対後悔のないようにと。

なので、後悔はしていません。

でも、その分母と過ごした、母とかかわった時間が多い分、悲しみは続くのを覚悟していましたが、ずっと心の中にそのもやもやがあり、どうしようもないのです。

少しずつしか母のことはまだ書けません。

21歳になってやせ細ってきた実家の猫と父を見送るのが、あとの自分の仕事だと思っていますが、その2つの命を見送るのが怖く、とてもつらく思っています。

大切の人の死にこれ以上直面したくないですが、自分が先に死んだほうが楽だと思う時もありますが、なんかもっと時間を取って自分に向き合おうと今は思っています。」

お久しぶりです。

お久しぶりです。

成田ゆうです。

最近自分の時間を作ろうと思い、今ブログを書いています。

前回の記事から約1年ほどみたいです。

その頃、がん闘病していた母は2022年11月19日AM4時19分に息を引き取りました。

身内だけで葬儀を済ましました。

僕は母ががんの疑いの検査結果が出てから、亡くなるまで3年半完全につきっきりで一緒に闘病をしてきました。

母は死の恐怖と苦痛の中、亡くなっていきました。

最後の一週間は終末期せん妄状態で、視点も定まらず、ぼーっとしてました。

僕は覚悟を決め、後悔をしたくないので最後の呼吸、喉の動きが止まる瞬間を目に焼き付け、止まってから1分ほどして看護師さんを呼び、医師が来て最期を看取りました。

母は何度も死が怖くて泣いてました。

医師から「もう治療はできない」と聞いたとき、震えながら泣いて「どうしたらいいの?」と僕の腕につかまっていました。

母は北海道の生まれではなく、父とも離婚していたため、親戚(身近な人)は自分しかいませんでした。

それでも僕と離婚した父と兄夫婦の4人で見送りました。

話は前後しますが、息を引き取って葬儀社が来るまでの間に、看護師の方が死化粧をしてくださいました。

その顔だけ見た瞬間、「死んでしまった母」を直視できませんでした。

でも少し見ました。

飲み物も飲めず、食事もできず、体重も30キロ台に落ちて苦しんでいた母の顔は穏やかでした。

今思うと、やっと痛くて怖いことから解放されたのだと思います。

細かいことを書くと書ききれないくらいいっぱいあるので、少しずつ書いていこうと思います。

それと自分のことですが、現在B型事業所に通っていて、母が亡くなった1週間後から通所を開始してもうすぐ1周忌になる今、ただこなしているだけの作業に自分の時間がとられすぎているなと思い、休みを多くとろうと先月半ばから休みを多くしています。

 

これから自分はどのように生きていくのか?一般就職も考えています。

 

ブログを書くことで自分の気持ち(母の事、自分の事)を整理していこうと今は考えています。

そういってまた書かなくなるかもしれませんが、、、書きます。

 

多分、このブログ10年以上やっている気がするのですがあっているでしょうか?

 

自宅で引きこもっていて、リスカ画像やODの事を書いていたところだと思うのですが、、

 

まあ独り言です。

 

でわでわ。

 

昼前から酒を飲む

現在、11時38分。

酒飲んでます。

パチンコ行かないと暇なんで、酒飲んでます。

この前ODしたけど、何ともないから合法ドラックのアルコールでふわふわさせる。

アルコール依存の基準調べるのめんどくさいし、アル中になってるかもしれないけど、まあどうでもいいや。

アル中でも末期癌の母親の手伝いはする。

港区で年収1000万以上稼いでる兄夫婦は、母親の手伝いは何もしない。

口出してもらいたくないし、たまたま同じ親から生まれたってだけで他人だよな。

兄のクソ嫁は「介護なんて誰でもするんじゃないですかぁ?」って言ったけど、お前介護なんてする気ないだろ。

正月で親の所に来た時、年金生活の父親に全部金出さすなや。

35歳過ぎて、見た目キモい兄が金稼いでて焦って結婚していつもマウント取ってきたり、空気読めない話は聞きたくないんだよ。

クソ嫁がいる限り、お前らに会う気はない。

会ったら顔面蹴っ飛ばしたりしそうだからな。

とりあえず、どうでもいいからアル中になって死ぬか。

生きるとか社会生活に嫌気がさした

こんにちは。

今日は久々にODとか、くだらないことしました。

デパケン200ミリ32錠。

何も変化はありません。

昼過ぎから酒を飲んでます。

なんか、炭水化物的なご飯とか麺類食べたら栄養になる気がして、そういうの食べるのやめようと思います。

ハイボールも濃い目にして、潰れます。

パンクのカリスマ、シド・ヴィシャスは21歳でヘロイン中毒で亡くなったけど、自分の体を壊して、それを笑って死んでいくのもいいと思います。

親の介護とか出来てるうちはやるけど、クソみたいな生活して、クソみたいに死んでいきたいです。


クソ人間の生き方

こんにちは。
生活保護受けながら、ギャンブルするクソ人間です。
先週負けて、1週間おいて今日もクソまけました。
ひろゆきさんみたいなクレイジーな人ですら、「生活保護受けてギャンブルはダメだよね」って言ってるので、自分は社会的には超クソ人間です。
クッソ負けた帰り、スーパーでネギ1束と炭酸水3本買いました。
レジで「なんか安いな?」と思ったけど、普通に帰ってきて、アパートの前でレシート見ると
「レジ袋1枚、炭酸水3本」。
レジの人が間違えたんだな、と思って10秒間考えてスーパーまで戻りました。
サービスカウンターの店長さんらしき方に「支払い間違がってるんですよね。ネギ代が入ってなくて僕が少なく支払いしてるんです。払いますので、計算してもらっていいですか?」
というと、その店長さんらしき方が何度も「すみません。ありがとうございます」と年下であろう自分に頭を下げていました。
生活保護でギャンブルやるやつは死ね」みたいなのを99%の国民が思うよな。
でも自分の生き方はそこじゃないんだよ。
仕事もしないで生活保護で生きてる事になんら後ろめたい事ないし、ギャンブルだってやる。
前に「ジリツについて」というテーマで人前で話したことなんだけど、自立は「自分の力で生活する事」
自律は「自分が己に課した行動をとる事」と話したことがある。
なので、世間様に言わせたら「生活保護でギャンブルするなら死ねよ」とか「ネギ代タダじゃん!ラッキー」とはならないんだよな。
多分、パチンコで生活保護費削ったことより、二百円ちょっとのスーパーでの買い物を誤魔化しているほうが、自分的にはだめなんだよ。
自分が考える生き方出来ないくらいなら、生きてないな。
別に金なかったら死ねばいいし。
でも、まわりからどんなクソ野郎と思われても、こういうとこは譲れないし、譲りたくない。