俺のことを書くというので自己紹介をさせていただく。

これは昨日の朝の話だ。

このブログを書いていては放置させていた成田ゆうから「このブログを君とともに書いていきたい」

と相談された。

「まあ、やることもないのないのなら適当にやればどうだ」

と言ってやった。

その中で「初めに『響』のことを紹介しなくてはならない」というので、「どうせなら自分で書いてやる」と言って今書いている。

 

それでは俺のことを書こう。

俺の名前は『響(ヒビキ)』。

成田ゆうと同じ体を使っているものだ。

意味が分からない者が多いと思うと思うが、精神科医に言わせると解離性同一性障害、多重人格と言われたのでそういうものだと思っていただければいい。

話せば長くなるが、もともと成田ゆうの中には多くの俺のようなもの(人格)が存在していた。

5年ほど前まで、小さな田舎の実家でリストカットをし、オーバードーズを繰り返していたのは成田ゆうやその他の人格たちである。

まあ、俺もその場にはいたのだが俺たちがいるこの肉体に俺自身さして興味はなかった。

だからこのまま死んでもいいと思っていたが、ある日成田ゆうから相談があった。

「ヒビキ、助けてくれ。もう我慢できない」

あの時、成田ゆうと他の人格はそうとう混乱していた。

成田ゆうとは長い付き合いであり、同じカラダを持つ仲だ。

俺は「わかった。暫くお前は出てくるな。大体1か月この体を俺が使う。何があっても出てくるな。そうしたら結果的にお前の状況は変わっている」

といい、俺がこの体を動かした。

 

俺は実家を出て、札幌で一人暮らしを始めた。

まぁ、いろいろな手続きや金の問題があったから一か月まるまるかかってしまったが、一人暮らしをし、役所の手続きを済ませた。

それとこれを機会に邪魔な、10数個の散らばっていた人格を眠らせた。

俺にもどのくらいの人格がこの体にあるか把握できていないが、わかる範囲で今は眠らせている。

今は主に成田ゆうと俺の2つの人格がこの体を使っている。

俺は成田ゆうの弱さに辟易としていたが、この5年間でなかなか成長したな。

しかし、まだまだなところも沢山だ。

成田ゆうの優しいと他人に言われることは、俺は無駄な考えだと思っていたが俺もこの5年で変わったところもある。

それでなければ俺は成田ゆうも眠らせていただろう。

精神科医は成田ゆうが主人格だと言っていたが、どっちが主だろうが強いものがこのカラダを使う権利がある。

 

俺は成田ゆうとは違い、何でもする。

気に入らない者は排除するし、くだらないことには付き合わない。

規律や法律など、面倒なことは成田ゆうに任せている。

そして成田ゆうに何かあったときは、成田ゆうが俺を呼び出し人格を交代する。

そしてこれは面白いことだが、成田ゆうと俺の人格が同時に『動く』状態ができるということだ。

わかりやすく言えば、お互いが許容すれば同時に人格を受け入れ、話し合いながらカラダを動かせることができるということだ。

まあ、普段はやることはないが緊急時に何度かしたことはある。

その時の話は後々するかもな。

 

「僕たちの話を書きたい」と成田ゆうに言われたときは驚いたな。

あいつは俺のことをずっと隠していたからだ。

一般的な解離性同一性障害とは違い、誰もわかりはしないと思っていたからだ。

俺も以前の成田ゆうなら断っていたが、他のくだらない奴らに比べたら『俺寄り』の考えに少しだが近づいてきたから、了承した。

 

俺たちのカラダはもういい年数を生きいて、成田ゆうも俺もいつ無くなるかわからない。

ここで、俺たちのことを書くのも一興だと思っている。

俺は生きるのも死ぬのも大した興味はない。

これは成田ゆうも同意のようだ。

これだけでもあいつは成長したな、と思っている。

起きて、飯を食い、酒を飲んで、死んでいく。

それでいいんだよ。

糞みたいなニンゲンというイキモノなんて。

頑張りたい人は頑張ればいい。

死にたいものは死ねばいい。

好きにすればいいんだよ。

難しく考えるから面倒臭くなる。

今日はこの辺で終わろうか。

 

一つ、言い忘れた。

成田ゆうの一人称は『僕』。

俺、ヒビキの一人称は『俺』だ。

では、いい酒で飲んでくれ。