いっそ、死ねれば、、、

「いっそ、死ねれば、、、。」
昨日の夕方、ベッドに横にうずくまってそう思っていました。
こんにちわ。ゆうです。
木曜日に診察に行って薬をもらって、それから眠剤しか飲んでいません。
ODはたまにしていたけれど、鬱にはなっていない。
ODして薬足りなくて、飲んでいなかったけれど、調子が悪くはならなかった。
「鬱は治ったんだ」
そう思っていました。
薬は人間的な感情を鈍らせる。
脳が鈍感になる。
クスリ漬けなのが嫌でした。
僕はロボットじゃない。
人間なんだ。
だから、薬を抜いていました。
そうしたら、見事に落ちました。
シニタイ。
シニタイ。
シニタイ。
切りたい。
切りたい。
切りたい。
でも、切りませんでした。
切る元気もありませんでした。
食事もしたくありませんでした。
中学生の時に買ってもらった古いCDラジカセを久しぶりに動かしました。
尾崎豊の曲が流れました。
高校3年生の時、東京の大学に1本で受かりたくて、尾崎を聞きながら
僕は毎日、夜中の2時まで受験勉強をしていました。
僕は頭がよくないので、決してレベルの高い学校ではないけれど
そうしなければ受かる可能性がないことが分かっていました。
そして、運よく受かりました。
大学に入って、東京で生活をして、必死に学校とバイトに走りました。
今となっては4年も過ごしていたのが信じられないくらい、記憶に残らなかった4年間。
4年生の時に、東京の警察官の試験を受けました。
半年間バイトを辞めて、試験勉強をしました。
1次試験に受かり、2次試験の面接にも受かり、
最終試験の書類審査待ちで、「もう、受かった」と思っていました。
通知が来て見てみると「不合格」。
僕が大学在学中に両親は離婚していて、何度連絡しても母に連絡つかなかったそうです。
警察官は「コネ」がある人と、周りが「キレイ」な人しか受からないのだと思いました。
東京の警察官の試験は1年に4回あります。
でも僕は受けませんでした。
「僕は必要とされていない」そう思いました。
その頃からおかしくなったのかな。
それとももっと前から、、、。
北海道に戻ってきて、人付き合いが苦手なのに「働かなければ」と思って
営業の仕事を始めて、2か月半で僕は完全に壊れました。
引きこもって、ODして、腕切って、クスリ漬けにされて、何度も救急車で運ばれて、
何度も入院して、、、。
あれから何年もたっているのに、病気はもう治ったと思ったのに、
ダメでした。
鬱は治っていませんでした。
今日、母宅に行ってきて、母が心配するから、お昼の薬だけは飲みました。
「あなたとクスリは一生付き合っていかなければならないのよ」
そう言われていました。
でも、夜の薬は飲まないと思います。
明日からもずっと、限界が来るまでは、、、。
「いっそ、死ねれば楽なのに」と思います。
人が生きるか死ぬかは、「運命」なのだと思います。
どんなに頑張っても、生きるときは生きてるし、死ぬときは死ぬのだと思います。
「運命」
その言葉が頭に響きます。
でも足掻きます。
「僕はロボットじゃない」
生きるときも、死ぬときも人間でありたいです。