お久しぶりです。
成田ゆうです。
今、色んな周りの事が変わってきていて、状況を説明すると
1.病院ボランティア⇒継続出来ている
2.保護猫ボランティア⇒かなりきつい
3.映像制作のお誘い⇒2日前に言われて、多分無理
って感じです。
楽になるために、事業所辞めたんですけど、そこの苦情だとかいっぱいやっていて
あ、これ4ですね。
です。
1から行きますね。
1.病院ボランティアは母が最期を過ごした場所です。12月からやっているので8か月目になりますね。
ここで、自分がNHKでやっているサンドウィッチマンの「病院ラジオ」の話をしてしまって、やりたいのはあるんですけど、、まぁやりだそうとしているんです。
技術的には自分はできるので、でも新しいことを始めるのはそれなりにストレスがかかるので、でも今やっている中ではこれを継続していきたいのですよ。
で2番目ね。
保護猫ボランティアは1月からやっているのですが、そこはNPOではなく個人で活動をしているのと、代表が80歳近い女性なので自分ではほとんどできないわけですよ。
なので、ボランティアが掃除しに行って、寄付金を募るSNS投稿して、HPも更新してみたいなのを長らくやっていたのですが、自分が入った今年の1月過ぎてからおかしくなってきて、ボランティアが辞め始めたのですよ。
メインでやっていたボランティアが飛んじゃって、そのしわ寄せがほかの人に行って、他の人もやめちゃって、で自分にしわ寄せがきている感じです。
毎日のように電話が来て「これをSNSいあげてください」とか「今日ボランティアこれませんか?」とか、猫以外の事も「インスタに外国の人ばかり出てくるんですけどどうしたらいいですか?」とか、まぁまぁしんどい。
もう歳も歳なんで、「ほかの保護猫活動をやっているところにお願いしないと無理ですよ」という話もしたんですが、まぁなんかダメですね。
フェードアウトしていくか、はっきりやめるか、だと思います。
かなりしんどいです。
で、3つ目。
映像制作の話は、もともと今苦情入れている事業所でひどい目にあって(今お米炊いてきたよ(笑))
やめた人で、去年たまたまバス停で会って4,5年ぶりにね。
「ひさしぶりー」ってなって
「まだあそこでうやってんの?やめた方がいいよ」っていう話になって
自分もそこでだいぶ不満がたまっていて、LINE交換して、飲みに行ったりとかしたのね。
その人は精神的な病気になる前は、東京の専門学校で映像学んで、30ちょっとまで本格的に映像作ってて、仮面ライダーの監督とも面識あるし、エヴァンゲリオンの庵野監督が下っ端のころ見たことあるよーー、ぐらいやってた人なの。
僕は事業所に行くまでは、映像なんて興味もないし、全くわからないけど、研修会程度なら撮影編集して納品できるくらいなんで、レベルが違うのね。
で、その人に「暇つぶし程度に2人で映像の仕事してみない?」って言われたのさ。
「いいですねー」とかいったら、「ゆうさん、ポートフォリオある?」って言われて
知らない単語出てきて、調べたら今までの実績とかできることを1分にまとめて編集して、自分のスキルをクライエントにわかるもの、らしいんですよ。
そんなのないし、昨日その人が作っているTiktokの映像見たら、CGみたのを手作業で作ってて、まーレベルが違いすぎてて、
でも、頑張ってTiktok入れて何か作ろうかな?と思って、「楽しめなきゃだめだよ」って言われたんだけど、今思いつくのは「母親の死」をまだ整理できてないんですね。
亡くなってから1年半くらいたってて、それを題材に作ろうと思って、さっき母親の遺品を見てたらしんどくなって、涙が止まんなくなって、技術的にも、アイデアも浮かばないし、全然楽しめないなって思って、もう諦めました。
映像無理です。
だって、映画自体見ないし、読書派だから無理なんです。
これが3つ目ね。
で4つ目。
事業所の苦情は8月に委員会の聞き取りを自分にして、事業所に現地調査入ります。
行政の障害福祉課にも行っているので、監査が入ったら終わりだと思います。
9割がたつぶれますね。
で、去年退職した人のパワハラとかもう虐待に近い案件は、その人が入っている協会に苦情を入れて聞き取りも終わっています。
向こうにも聞き取りはいくのですが、注意やその程度しかできなくて、除名とかはないそうです。
でも、何かはいくので頑張った甲斐はありました。
やぁ、事業所辞めたのに変なのいっぱい首突っ込んで逆に疲れるって、自分の性格がダメなんですね。
もう嫌われても嫌なものは嫌って言っていきます。
決めました。
最後にですが、4つ言った中で病院ボランティアは続けたいのと、
母親の件ですね。
これどうしようかなぁと思っていて、実家に写真とかおいてきているのですが、少しだけ写真、手帳、ノートとかあるんです。
SNSで発信する必要はないのですが、やっぱりまだ文字とか思い出したりとかしたら涙とまらなくて、「死んでいった君へ」で作中の中では「ルカ」ですが、彼女が亡くなった時に、自分ができるのは文章に書いて、ネットの中で少しでも知ってくれる、見てくれる人がいて、彼女が生きていたことを残したくて書いたわけですよ。
ルカは自死だったのでというのもあったのですが、母親の事も小説ではないですが、このブログで書いて、覚えている限りのこと、個人情報が出ない程度に画像も乗っけて書くってことも考えてるとこです。
波乱万丈な人生を送っていて、自分に気づかれないように言葉とかを残してくれていて、、、
なんかね、映像は無理ってわかったから、文章と画像で母の人生を書くのもありなのかな?と思い中です。
このブログも元々、かなり病んでいるときに始めていてその吐き出す場所として使っていてまだ閉鎖されてない状態で、読者も全然いないのですが、復活もありかな?って。
せっかく時間がある状態なので、普通にブログと母の話と。
明日も書いて、明後日も書いてって、昔見たく習慣づけたらいいかな。
とりあえず、頑張って明日も書くね。
あと、画像も乗っけます。
25歳に生まれてすぐもらってきた「ちびぞー」載せました。
昔にさかのぼったら若いころの「ちびぞー」もいるかも。
昔みたいな血が出てるリスカでなくて、母の残したものとか、日常とか。
やっぱ、文章のほうが楽だなぁ。
ちょっとストレス発散できたかもです。
でわでわーーー。